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どうといったことのない  平凡な写真が好きだ


by gogonohizashi

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『午後の陽射し』続編は花のブツ撮りブログ(笑)

花のブツ撮りブログを始めました(笑)。こちらです→「一読者との対話」

『午後の陽射し』続編は花のブツ撮りブログ(笑)_e0317614_14133021.jpg

# by gogonohizashi | 2017-01-21 14:00 |

一読者さんへのご連絡

元旦の段階では最後のエントリーとなっていた「風景写真」のコメント欄にコメントを下さった「一読者」さんへ。昨日、自分がこっそり見るためにアルバム帳代わりのブログをひとつ作りました。他の方々には一切内緒で「一読者」さんだけにURLをお伝えしようと思ってはたと気がつきました。「一読者」さんの連絡先を承知しておりませんでした。連絡先をお尋ねするにしてもこのブログを通じてお声を掛けるしか無いので、面倒なのでとりあえず昨日作ったブログをここに公開します。どのみちそう長くは続かないでしょうし、もう少ししたらこのブログともども「非公開」にする予定ですから。


元旦にコメントを下さった「一読者」さんへ。

元旦に、「数日お待ち下さい」とお伝えしておきながら連絡が遅くなってしまいましたことをお詫びいたします。昨年の12月30日より今年1月3日まで家族で白馬に行っておりました。雪山で新しい年を迎え、子供たちと山歩きをしました。妻と子供たちはそのあと2日ほどスキーをしたり楽しい年末年始を過ごしました。

4日に息子のサッカーの試合があったため3日深夜に帰宅し、6日まで東京にいたのですが、7日朝から2泊3日で尾瀬岩鞍にスキーに行っておりました。10日からは子供たちの学校が始まり、この一週間はなにかとバタバタ過ごしておりました。

予定通り、昨年12月31日をもってこのブログは終わりとしました。再開するつもりも代わりのブログを始めるつもりも全くありませんでした。私は『午後の陽射し』というブログを止めたかったのでは無く、ネットでの発信自体を全面的に止めたいと思っていたのです。

12月20日に、「15日に頂いたコメントへのお返事」という長文のエントリーをアップしました。約5,000字に及ぶ長い文章ですので読んで下さった方がいたとしたら貴方一人ぐらいでは無いかと思いますが、その中に書きましたように、私は今年は本を読むことに専念するつもりでいます。

私は文章を書くスピードがかなり早いほうですし、カメラや写真について語ることは「趣味」のようなものですから、毎日ひとつふたつのエントリーを書くことの負担は些細なものです。仮に4千字ほどの文章のエントリーを書くとしても1時間程度の作業ですから読書の妨げになるほどのことではありません。

それでもブログを止めようと決めたのは、いかなる形であれ「他者」との繋がりを可能な限り絶ちたいからです。本気で読書に専念しようと思ったら、山奥の小屋のようなところにこもり、誰一人の人間とも接触せずに一人きりで暮らすのが理想です。許されるなら、1年ほどの間そのような環境に身を置いて本を読みたいと思っています。一度で良いので、1年に1,000冊を超える本を読んでみたいと思うのです。しかし、まだ小学生の子供が二人おりますのでそんなことは出来ようはずがありません。

しかし、私の場合家族と暮らしていても一人になれる時間は少なくありませんので、家庭生活をしながらでもある程度読書に専心することは可能です。2015年の1月1日から5月末までの5ヶ月間には250冊ほどの学術系書籍を読みました。

その同じ期間に70万字を超える文章を書きました。もちろん、ごく普通の家庭生活を送りながらのことです。週末の二日間は家族と過ごす時間が多いため読書も文筆もあまり出来ませんから、平日だけを利用して5ヶ月間に250冊の本を読んで、新書5冊ほどに相当する量の文章を書いたと言うことになります。

自分で考えてもよくそんなにやったものだと思いますが、実はそれほど大変だったわけではありません。読むにしろ書くにしろ、「言葉」と向き合うことは私にとってとても楽しいことなのです。

ですから、今年だってブログをやりながら1年間に500冊の本を読むことぐらいはやりきれるでしょう。しかし、今年は本を読むことに専念したいのです。読書にどれだけ時間を費やすか、何冊読むかという問題では無く、(家族との生活を別として)他のことを一切捨て去って読書に取り組みたいと言うことです。

年が明けて半月過ぎました。9日までは朝から晩まで家族と過ごす日々を送ったため、読書は全くしませんでした。10日から読み始め、まだ数冊しか読んでいません。読書に専念する前に片付けておきたいことをいくつか抱えているので今月いっぱいはボチボチペースで読むつもりでいます。

しかし、2〜3冊読み終えた段階で気持ちはすっかり変わりました。昨年末までの自分とは別人になってきています。頭の中から、カメラや写真のことは殆ど消えてなくなりつつあります。いまではスイッチさえ押せば毎日15時間本を読み続ける生活にすっと移っていける状態になりました。

率直に申し上げて、元旦に貴方から丁寧なコメントを頂きましたことは、私にとって大きな「誤算」でした。もし、あのコメントを頂いていなければ、私は少なくとも今年いっぱいはブログはやらずに過ごしたことでしょう。

最後のエントリーにするつもりで書いた文章のタイトルは「一人の読者のためのブログをやろうと思ったけれど…」でした。私は、上で触れた「15日に頂いたコメントへのお返事」というエントリーの中に次のように記しました。

とりあえずあと12月一杯でこのブログは終わりにしようと思っています。ただ、私は以前からいくつものブログの中で語っていたのですが、「たったひとりの読者のためブログをやりたい」というのが私の思いでした。毎日1000人の人にちらっと眺めて貰うより、一人の「愛読者」がいてくれることの方が遙かに幸せなことだと思っているのです。

私は、どんなものであれ「薄っぺら」なものが好きではありません。twitterを止めFacebookを止めたのもそこでの交流のあまりの「薄っぺらさ」が嫌になったからでした。ブログだけは続けました。その理由は、ブログをやることは誰かとの交流の為では無く、自分自身の「楽しみ」としてだったからです。私にとってブログは「アルバム帳」であり、ある意味での「日記」であり、「落書き帳」なのです。

私にとっては写真を撮ることも、文章を書くことも、「遊び」です。それは娘や息子が放課後に公園で友達たちと遊んでいることと似たようなものです。本当にサッカーが好きな子供は、ひとりぽっちでボールを蹴っていたりします。私がブログに文章を書いていたのはそれと同じようなものです。誰かに読んで貰いたくて書いていたわけでは無いのです。

しかし、もしかしたら一人ぐらい「この人の書くことは面白い」と思って読んでくれる読者が出てくるかもしれないという淡い期待は持っていました。実際、私はブログの読者であったというだけの繋がりで知り合った数人の人々と極めて深い絆の付き合いに発展したという経験を持っています。

何かを期待していたわけではありません。少し極論的な物言いになってしまいますが、私はもう何も求めていないのです。半分は「絶望」故であり、半分は満たされるほど満たされているからです。もう、欲しいものは無いんです。息子に対しては男同士と言うことで複雑な感情なのですが、まだ7歳の娘はただただ愛おしい存在であって、彼女がいれば私にはほかに欲しいものはなにも無いんです。

ブログを通じて誰かと出会いたいという気持ちは殆どありません。一番欲しいものは一人きりで過ごす時間です。今の私にはそれが一番素晴らしいものです。

私にとってこのブログは自分自身が書いて読んで、貼り付けた写真を眺めて楽しむためにあったのです。その上で、根っからの「発言者」である私はいつでも「誰か」に向かって語ってきました。しかし、具体的な「誰か」とつながるかどうかはどうでもいいことでした。誰かに向かって「語る」というのは私の"本源的欲求"なのです。酷い言い方をすれば、文章を書くと言うことは私には「排泄」行為のようなものなのです。だから、「排泄」すればそれで十分であって、文章を書くとによってなんらかの「成果」を得ることを期待していないのです。

それであっても、もしかしたら一人の愛読者が現れるかもしれないという期待を持つものです。現れなくても全くがっかりしないのですが、そんな読者が一人現れたら素敵だとは思うわけです。

その愛読者がどこまで深く私の文章を読んでくれているかなどはどうでもいいんです。だいたい、今の日本にはきちんとした日本語の読解力を持った人間自体が殆どいませんから、高い希望など持ちようが無い(笑)。ただその人が本当に楽しみに私の書いたものを読んでいてくれたのであれば、そういう希有な一人の読者がいることは書いた私には望外の幸せであると言うことです。

そして、そういう希有な読者が名乗りを上げてくれたときには、その一人の読者のためだけに文章を書いて見たいといつでも思っていました。私にとって毎日5千字程度の文章を1本書くことなど、スポーツをしている人が30分ジョギングしてくる程度のことですから話はとても気軽なレベルの話です。

さて、ここまで一気に書きました。貴方が「昨年夏頃から、ほとんど毎日、このブログで勉強させて貰いました」と言って下さったことは私にとっては本当に望外の幸せです。あれだけの長文の蘊蓄話を殆ど毎日真剣に読んでくれたのはまず間違いなく貴方一人でしょう。写真のこととは全く違う話を書いていたブログをやっていたときには絶えずそういう読者が数人いましたが、「写真」という「軽いネタ」のブログではそいう読者と出会える確率は非常に小さいものだと思っていました。

でも、きっと一人はそうやって熱心に読んでくれている人がいるだろうと私は確信してこのブログに文章を書いていました。じゃなければ、ああいう形で文章を書くことなんて出来ません(笑)。私はそういう読者と出会うことを期待してはいませんでしたが、そういう読者が一人ぐらいは出てくることを確信していました。

私も「昨年夏頃から、ほぼ毎日」そのどこのどなたか知らない「一読者」を念頭にここに文章を書いていたのです。しかも、その「誰か」がいつかはこのブログを愛読していましたと連絡してくれることさえをも確信していました。多分、私がこのブログを止めると告知した後に「止めないで欲しい」という形で思いが寄せられるだろうとまで分かっていました。

貴方が「ほとんど毎日」このブログを真剣に読んでいてくれたことは私にとって大変嬉しいことです。だって、「言葉」というのは他者に向かって発するものであり、それを真剣に受け止めてくれる人がいることによって人は言葉を発することに大きな喜びを覚えることが出来るのだから。ここには、人間にとっての"根源的な喜び"があります。

「言葉」は、"愛"や"尊敬"や"信頼”などを通わせる道具だから。

さて、これ以上書き続けると終わりが来ないのでいきなり結論です(どこかで止めないと私は簡単に3万字くらい書いてしまうので)。私は今年は読書に専念するつもりです。率直に言えば、ブログを続けながらでも読書には専念出来ます。それでも私がブログを止めようと思った理由は、読書うんぬんとは無関係な希望として、ネットを通じて他者に向かって語ることを止めようと思っていたからです。これは数年前から思っていたことですが、やっと潮時がきたと感じるようになったのです。そう思えるようになったのは、昨年夏から半年間大量に「排泄」し、その腐臭に自分でウンザリしたことよってでしょう(笑)。

失礼を顧みず正直に記したように、元旦に貴方からコメントを頂いたことは私には小さくない「誤算」でした。新しい年を迎えるときに気持ちの切り替えがしっかり終わっていたので。もし12月20日過ぎぐらいの段階であのようなコメントを頂いていたとしたら、私はとりあえずこのブログを暫し延長することを割と簡単に決めていたと思います。しかし、2016年の除夜の鐘が鳴り終わったとき、私の気持ちは固まっていました。2017年は「他者」に向かって「語る」ことを全面的に止めることに。

そんなわけで、この半月間どうしたものか考えていました。ブログを書かないで過ごしたこの半月間は快適でした。頭がインプット型の生活用モードに完全に切り替わったため、アウトプットはない方が楽なんです。

しかし、大変困ったことに、たとえ一人の人間であっても私の「戯言」を求めてくれる人がいるのであれば、多少なりともそれに応えたい、私はそういう性分の人間なのです。

と言うわけで、あとちょっとだけ貴方に向けて何かを書くことにしました。やらなければ行けないのに放置してきたことがいくつもあって、読書に専念する前にそれらをある程度片付けなければいけないという事情があるため、少なくともあと一月二月は読書三昧の生活に移行できそうにありません。コツコツ何かに取り組むことが出来ない性格なので、どのみち今年1年の内のどこか半年ぐらいに集中して読むことになるでしょう。そんなわけで、1月2月はボチボチと低空飛行で読むことに決めました。

まあ、もうネットからは全面撤退してしまいたいというのは本音ですが、その時期を2ヶ月ほど先送りしてもいいかなと。

そんな風に思い始めたところに、大好きなカメラが帰ってきました。で、今年始めて旅行先以外で写真を撮りました。と言っても、自宅のダイニングテーブルではす向かいに座っている娘を撮っただけなのですが、その写真を「閲覧」する為に自分用の「アルバム帳」代わりのブログを作りました。そのブログのことは誰にも伝えずにおきたかったのですが、とりあえず1月限定で「一読者」さんに向けて何度か文章を書くことにしました。

「大兄が、できれば、翻意されることを切望いたします」と言って下さったことに僅かですがお応えしたいと思ってのことですが、あくまで限定企画です(笑)。申し訳ありませんが、「翻意」するということまではできそうにありません。

どういうペースで更新するか、どんな写真を載せるか、何を書くのか、私自身皆目見当がつきません。もう、頭の中が昨年までとは別人になってしまっているので(笑)。もしかしたら、昨年と同じような話を同じようなペースで書かないとも限りませんが、週に2〜3度の更新と成るかもしれません。一つの理想は、貴方から「こういうことについての話を書いて欲しい」というリクエストをいただき、それについて書くというのが良いのかとも思っています。質問10回券を差し上げますのでよろしかったらお使い下さい(笑)。

今年はフィルムで撮ろうとか、4×5で撮ってみようとかいろいろ考えそんなことを昨年末に書きましたが、いまは写真なんかどうでもいいという気持ちの方が強いです。しかし、私の場合カメラが好きなんでちょくちょくファインダーを覗いてシャッターボタンを押したくなりますし、新しいカメラが欲しいという欲求はゼロにまでは低下しません(笑)。そして、新しいカメラを手にするようなことになれば、しばらくの間毎日そのカメラで写真を撮ることになるでしょう。

明日から当面は、805日ぶりに戻ってきたR-D1sでちょこっとは撮ると思います。ただ、どうしてなのかこのカメラを使うと思うように写真が撮れません。新しく作ったブログはこのブログより写真のサイズが大きく掲載されるのでEOSかα7で撮った写真じゃないと載せられないかな〜(笑)。まあ、どのみちたいした写真なんて撮りっこないんだから同じようなものですけれど…

R-D1s、久しぶりに触ってとても心地よかったけれど、写真が撮りたくなるほどの刺激じゃ無かった。ああ、久しぶりに新しいカメラが欲しい(爆)。しかも、ハッとするような写りのカメラが。

※以上、5,942文字。



# by gogonohizashi | 2017-01-15 06:00 | ブログ

一人の読者のためのブログをやろうと思ったけれど…

※カメラや撮影についての蘊蓄話はこちらでやっています→「一読者との対話」

2012年10月6日 ダウラギリ

10日ほど前に刊行された写真家渡部さとるさんの5冊目の写真集『demain』の中に、この写真とうり二つの写真が掲載されていてびっくり。よく見ると、こちらの方が山頂の陽の当たっている部分が少し広い。たぶん、こちらの方が数分あとに撮影した写真なのだと思う。この写真は妻が撮影した写真。渡部さんと同じ場所で撮影している。渡部さんから誘われて私が行くはずであったネパール旅行、妻がうらやましがるので彼女に譲ったのである。

LUMIX GF5で撮影。妻がネパールの旅行に持って行くためプレゼントしたカメラ。とても気に入っていたのだけれど背面モニタの液晶を割ってしまった。修理費より千円ほど安い値段でE-PL6の新品が買えたので買い換えたが、GF5の方が写りは良かったと思う。

一人の読者のためのブログをやろうと思ったけれど…_e0317614_07085242.jpg

今日でこのブログを終わりにする。たぶん、これが最後の投稿になるだろう。若干の心残りはある。ここ2〜3年はほとんど写真らしい写真を撮っていなかった。今は使っていない2台のiMacや5台の外付けHDD中にはここに掲載したよりもう少し写真らしい写真が少なからずある。

長男が生まれる前は旅行先で写真を撮るゆとりがあったので風景写真を多少は撮っていた。中判フィルムカメラで撮った写真などもあるし、135判のポジのスリーブもそこそこある。そういう写真のいくつかを最後に掲載したいと思っていたが、年末は忙しくてそんな時間を作ることは出来なかった。でも、どっちみ更新を終わりにするのだから、まあいいや。

12月15日にKo-mさんという方から「最近愛読させていただいております。あと20MBで容量制限ですか。なんとか続けていただければ。勝手ながらのお願いですが」というコメントを頂いた。それに対して長い返信を書いた。その文章の末尾に「たった一人の読者のためのブログをやりたい」と記した。もしKo-mさんから「是非」というコメントが届いていたら、私は何らかの形でこのブログを継続するつもりでいた。しかし、Ko-mさんからはその後コメントは無かった。私は彼(?)からコメントが来なかったことを残念には思っていない。他者との交流を全く望んでいないから。

「一時保存」している文書がかなり沢山ある。写真家の渡部さとるさん、森谷修さん、水谷充さんなどと語り合った話がそのときの写真入りでいくつもある。中には写真愛好家が読んで面白い話も出てくる。10分もあれば、それらの5つ6つは予約投稿で今日中にアップするように設定できるが今更と言う気がするので止めておく。

ああ、ここまで書いて思いだした。最後に「私が本当に好きな写真」というタイトルで10枚ほど写真を掲載しようと思っていたんだった。実は、一番好きと言えるような写真で掲載していない写真が何枚もあるのである。でも、それももうどうでもいいことだろう。

と言うわけで、ちょっと尻切れトンボな終わり方だけれどこれでお終い。最後のあいさつも無し(笑)。

※このエントリーは予約投稿。一つ前のエントリー「風景写真」より先にアップされていたが、こちらを末尾に置いておきたいと思い順序を入れ替えた。実際の最後の投稿は一つ前のエントリー。


# by gogonohizashi | 2016-12-31 21:00 | 風景

風景写真

※カメラや撮影についての蘊蓄話はこちらでやっています→「一読者との対話」

風景写真_e0317614_07551171.jpg

このブログの中で風景写真は簡単には撮れないという話を書いたことがある。泊まっている山小屋で山岳写真家の菊池哲男さんの写真集『白馬岳』を見た。菊池さんとは、2005年に『白馬』が刊行された際にあれこれお話を聞いたことがあった。その頃、私は山岳写真に小さくない憧れを抱いていたので彼の話を大変興味深く伺った。

しかし、その2005年に息子が生まれ、私は山岳写真を撮りに行く機会を失った。全く行く機会がとれないわけではなかったが、風景写真というものが、年に何回か行って思うような写真が撮れるものでないことを承知していたから。

『白馬岳』は2011年の刊行であるが、この写真集に収録した写真を撮るのに費やした月日は6年間で、その間に50回を超えて山に行き、200日近くを撮影に費やしたとのことである。

アルプスの山々に登ることの大変さを知らない人にはピンとこないであろうが、重い機材を背負って山を歩くことはとても大変なことである。しかも、テントやツェルトに泊まり真夜中に星空の写真を撮影したり、夜明けに写真を撮ったりということを繰り返したのである。

しかも、厳冬期にも撮影取材を繰り返している。山スキーにシールを貼って山を登ったと記されていた。稜線にツェルトでビバークした晩に強風でツェルトが破けてしまったこともあると言う。徹夜で撮影した疲れで下山中にバランスを崩し、数十メートル滑落したこともあるという。まさに命懸けの撮影である。山岳写真程タフな写真ジャンルはないだろう。

『白馬岳』には95枚の写真が収録されているがその内デジタルカメラで撮影された写真は僅か6枚。残りの89枚はPENTAX 67で撮影された作品である。

デジタルカメラで撮る作品が安易だなどと言うつもりは無いが、重い機材を背負い山スキーを履いて山に登り、零下何十℃と言う気温の中でテント泊しながらフィルムで写真を撮ることが如何に大変であることか、お遊び程度にしか雪山を歩いたことの無い私にも充分に理解できる。

『白馬岳』に収録された写真は素晴らしいものばかりである。もし同じ場所にいたとしたら、私でも菊池さんに大きくは遜色無い写真を撮ることができるであろう。しかし、その時にそこにいたということがどれ程凄いことであることか。その写真はそこに行かなければ撮ることが出来ないのであり、そこに行くのは命懸けでさえあるのである。

2016年の下半期半年間、私は写真三昧の日々を送った。しかし、それは写真についてあれこれ書いたと言う写真三昧であって、写真を撮ることはほとんどなかった。

今年一年間に写真を撮るためにどこかに出かけたのは二度しかなかった。一度は11月に紅葉の写真を撮りに平林寺時に行ったとき。61分間に239枚撮った。

もう一度は今月江ノ島に行ったとき。53分間に196枚の写真を撮った。どちらのときも楽しかったが、何の手応えもなかった。ただ、闇雲にシャッターを押しまくっただけであった。

2回合わせて114分。それが2016年の私の撮影時間。それでも、この半年間私は写真三昧の日々を送った。そしてこの年が終わる最後の日に、私は手間暇をかけ抜いて撮られた95枚の写真を見るというありがたい偶然に恵まれた。

手間暇掛けて撮られた写真は違うとシミジミ感じた。そして、それはネット上に溢れるお気軽お手軽に撮られた写真とは対極的な写真であると思った。ここ数年私が写真嫌いになっていた理由は、そういう安易な写真ばかりに触れていたからだったのだろうと思う。

やはり、来年はフィルムで少しだけ写真を撮ってみようと思った。枚数は少なくても構わないので菊池哲男さんレベルの写真を撮ることを目的に撮影しようと思う。

写真を撮ることは楽しいことだ。

※2016年12月31日 八方池山荘より


# by gogonohizashi | 2016-12-31 19:20 | 写真論

今年の元旦の今頃の時間に撮った写真

写真は思い出が残るのがすばらしい
今年の元旦の今頃の時間に撮った写真_e0317614_22251498.jpg

# by gogonohizashi | 2016-12-31 17:05 | 風景